About Kaori|日本の食文化を伝える

About Kaori

初めまして!Kaoriです♪

幼い頃から日本と外国の文化、そして「食」に囲まれて育ち、現在は私が主宰するWa + Sabiを通して、日本の家庭料理や季節の行事、日本の台所に受け継がれてきた食の知恵や文化を、海外の方、日本に暮らす外国人の方々、そして日本の子どもから大人まで、さまざまな方にお伝えしています。

料理を教えることだけが、私の仕事ではありません。

料理を入口に、その背景にある季節や文化、昔から受け継がれてきた知恵に触れてもらうこと。そして、「日本って面白い」「こんなこと知らなかった」と、何かひとつ新しい発見を持ち帰ってもらうこと。

それが、Wa + Sabiを通して私がしたいことです。

Kaori

日本の中で、日本を外から見る

私は東京で生まれ育ち、幼稚園から高校卒業までインターナショナルスクールに通いました。毎日、さまざまな国や文化的背景を持つ友人たちと過ごす環境。それが私にとってはごく普通の日常でした。

日本で育ちながら、どこか少し外側からも日本を見る。
振り返ってみると、そんな環境で育ったことが、後に「自分の国のことをもっと知りたい」と思うきっかけのひとつになったのかもしれません。

父は、日本の原風景や古き良き暮らしを描くアーティスト。母は、広尾、のちに自宅のある高輪で、陶器や漆器、竹細工、籠など、日本の手仕事を扱う店を営んでいました。

日本のもの、日本の美しさ、手で作られたもの。
そんなものが、子どもの頃から身近にある家庭でした。


ものを作ることから、食を作ることへ

大学卒業後は広告会社に入り、アカウントエグゼクティブ、TVコマーシャルのプロデューサーとして働きました。
今とはまったく違う世界ですが、「何かを人に伝える」という仕事の面白さを知ったのは、この頃だったように思います。

その後、仕事を離れてから夢中になったのが、ものづくりでした。
陶芸、木工、織り、フェルトなど、興味を持ったものには次々と手を出しました。

なかでも夢中になったのが、焼き締めの陶芸でした。焼成には薪窯を使い、何日間も交代で火を絶やさず焚き続けます。そこでは皆が手作りの料理や保存食を持ち寄り、火を見守りながら一緒に食卓を囲みます。
誰かが作ってきたものを食べて、「これ、どうやって作ったの?」と聞く。今度は自分でも作ってみる。
そんな時間を重ねるうちに、興味は少しずつ「ものを作ること」から「食べるものを作ること」へも広がっていきました。

保存食を作り、調味料を作り、旬のものを手仕事で残す。
私にとって台所もまた、素材と時間と手を使って何かを生み出す、ひとつの「ものづくりの場所」になっていったのだと思います。


もう一度、日本を学びに京都へ

実は、子どもの頃から美術大学へ行きたいという思いがありました。
けれど当時は、インターナショナルスクールを卒業した私が希望する形で日本の美術大学を受験することが難しく、その道はいったん諦めました。

それでも、ものづくりや日本文化への興味は消えませんでした。
そして30代になった時、京都芸術大学の歴史遺産学部へ通信課程で入学しました。
学びたかったのは、教科書の中だけの「日本」ではありません。
歴史、美術、伝統文化、芸能、工芸、そして、それらをどのように守り、次の世代へ受け継いでいくのか。
長い時間をかけて育まれてきた日本文化を、その文化が今も息づく京都で、第一線で研究や保存に携わる先生方から学びたいと思ったのです。

それまで正式な教育を日本語で受けたことのなかった私にとって、日本語で大学の専門分野を学ぶのは決して簡単ではありませんでした。
けれど、学べば学ぶほど、日本文化は単に「昔からある美しいもの」の集まりではないことに気づいていきました。

季節や自然への感覚。
素材を生かす知恵。
手仕事への敬意。
そして、何気ない日常の中に美しさや意味を見つける感性。

それらは過去のものではなく、今の暮らしの中にも息づいているもの。
そして、もっと多くの人に知ってもらいたいものだと思うようになりました。


両親が選んだ、小淵沢での暮らし

そんな私にとって、もうひとつ大きな存在だったのが、両親が暮らした山梨県・小淵沢の家です。
人生のほとんどを東京の真ん中で暮らした両親は、55歳のとき、木々に囲まれ、四季の移ろいを感じながら暮らしたいと、小淵沢へ移り住みました。

二人が選んだのは、新しく建てた家ではありません。
新潟から移築した築100年以上の農家と、父のアトリエとなった福島の110年以上前の土蔵。それぞれを一度解体し、小淵沢まで運び、日本の伝統的な木組みで再び組み上げた家でした。
今になって振り返ると、それは両親にとって突然始まった新しい暮らしではなかったのだと思います。

日本の原風景を描き続けた父。
日本の手仕事を大切にしてきた母。

二人がずっと大切にしてきたものが、最後に「暮らし」という形になった場所。それが小淵沢だったのだと思います。
そして私自身も、当時はそれを特別なことだとは思っていませんでした。

季節が変われば、食べるものが変わる。
手を動かして何かを作る。
古いものを捨てるのではなく、受け継いで使う。
日々の暮らしの中に、日本の美しさがある。

それは両親にとっての日常であり、私にとっても「当たり前」の風景でした。
でも今になって、その当たり前の中にこそ、今の私が大切にしているものの原点があったのだと気づきます。

京都で学んだ日本文化が「知識」だとすれば、小淵沢で両親が見せてくれたものは、それが暮らしとして生きている姿だったのかもしれません。

そして、その中にはもちろん「食」もありました。

小渕沢の家と、両親の暮らしについて


私の「食」の原点

食についての原点は、さらに幼い頃へと遡ります。

母は手作りを大切にする人で、私は幼い頃から、オーガニックや無添加の食生活を大切にする家庭で育ちました。

外国人のクラスメイトたちが、当時まだ日本では珍しかったOreoやSnickers、chocolate fudgeなどをランチボックスに入れてくるのを横目に、私のおやつは生協の煮干しスナックやおせんべい。
子どもの私は、もちろん羨ましくて仕方ありませんでした。

そして大学時代、友人の家で初めて食べた「サッポロ一番塩ラーメン」の美味しさに衝撃を受け、しばらく毎晩こっそり夜中に食べ続けたこともあります。
それでも不思議なもので、結局戻ってくるのは、幼い頃から慣れ親しんだ「やさしい味」でした。

母になってからは、できるだけ添加物を避け、自家製の調味料や保存食を作ることが、いつの間にか私自身の日常にもなっていました。


私にとって、料理すること

今では麹調味料にすっかり夢中で、鶏ガラスープの素やコンソメのような調味料まで麹で作り、冷蔵庫には常に何種類もの麹調味料があります。

ベーコンやチャーシュー、ツナ、ヨーグルトなども、作れるときには自分で作ってストックします。

……と書くと、とてもストイックな人に聞こえるかもしれません。
でも、「すべて手作りでなければ」「絶対に無添加でなければ」とは思っていません。

作るのが楽しいから作る。
無理なときは、市販品にも頼る。

できる範囲で自分が心地よいと思うものを選びながら、食に振り回されず、柔軟に楽しむことを大切にしています。

私にとって料理は「手間」ではなく、「楽しみ」。
手を動かして台所に立つことは、陶芸や木工に夢中になった頃と、どこか同じなのかもしれません。

素材に触れ、考え、手を動かし、何かを作る。
そして料理には、その先に一緒に食べる人がいる。
それが、私が料理を好きな理由のひとつなのだと思います。


食べるものを、自分で選べる人に

母になったことで、食との関わり方にはもうひとつの側面が加わりました。

子どもたちが小さい頃は、今以上に口にするものに気を使い、「食べるものを自分で選ぶ力を身につけてほしい」という思いから、我が家独自の「バースデー解禁ルール」を作っていました。

4歳でショートケーキ。
5歳でチョコレート。
6歳でキャンディ。
7歳でグミ。
8歳でガム。
9歳はランチパック(娘のたっての願いで)。
10歳はクックドゥ(同じく娘のたっての願いで)。

そして最後は15歳!コカ・コーラ、マクドナルド、カップ麺が一気に解禁です。
もちろん、これは「これらを絶対に食べてはいけない」と教えたかったわけではありません。半分は、家族みんなで毎年楽しむイベントでもあったし、私が大切にしたかったのは、親が「これはいい、これはダメ」と決め続けることではなく、子どもたち自身が、自分で考えて食べるものを選べるようになることでした。

当時私の母校であるインターナショナルスクールに通っていた娘がミドルスクールになり、友達とマクドナルドに行く機会が増えた頃には、我が家の事情を知る親友たちが、娘が気まずい思いをしないように、事情を知らない友人たちをさりげなく別のお店へ誘ってくれていたそうです。

そんな友情に感動すると同時に、周りの子どもたちにまで気を遣わせてしまっていることを申し訳なく思い、「もう15歳まで待たなくていいよ」と伝えたこともありました。

それでも娘は、「ここまで来たら頑張る」と言い、ついに15歳の誕生日を迎えました。
その日は娘の親友たちとサプライズパーティーを開き、人生で初めてのマックとカップ麺を、みんなに見守られながら食べるという、本人にとっても家族にとっても忘れられない一日になりました。

息子にも同じような出来事がありました。
同じくインターナショナルスクールに通っていた息子が課外授業で、ランチはクラスのみんなでマクドナルドへ行くスケジュールがあった時のこと。

その知らせを見て「食べてもいいよ、大丈夫だよ」と伝えても、「ううん、大丈夫。代わりにおにぎり作って」と。
先生に連絡し、その日はおにぎりを持たせました。

その後、男子だから友達との付き合いもあるだろうと思い、「もう解禁してもいいよ」と伝えましたが、息子も、「僕も15歳まで待つ」と。

そんな我が家の食育は、決して「正しい食生活を教える」というものではありませんでした。
こうした経験を通して感じるのは、食べることは単なる栄養補給ではないということ。食には、その家庭が何を大切にしているのかが表れる。そして一緒に作ったり、食べたり、選んだりする中で、「食べること」は家族の価値観や生きる姿勢を伝える大切なツールになるのです。


すべてが、Wa + Sabiへ

インターナショナルスクール。
広告の仕事。
ものづくり。
京都で学んだ日本文化。
両親の小淵沢での暮らし。
そして、料理。

振り返ってみると、私の歩いてきた道は一見バラバラに見えるかもしれません。
けれど私の中では、不思議なくらいすべてがつながっています。
日本にいながら、外から日本を見る視点を持って育ったこと。
父と母を通して、日本の美しさや手仕事に触れてきたこと。
自分の手でものを作る楽しさを知ったこと。
京都で、日本の文化がなぜ生まれ、どのように受け継がれてきたのかを学んだこと。
そして小淵沢で、季節や手仕事、日本の美しさが「暮らし」として存在する姿を見てきたこと。
さらに、そのすべてと同じように、食もまた、母から私へ、そして私から子どもたちへと、日々の暮らしの中で受け継がれてきました。

そんな私の集大成として、2020年Wa + Sabiを立ち上げました。

日本に暮らす外国人や、日本を訪れる旅行者の方々に、日本の家庭料理や季節の行事、そして日本人が昔から大切にしてきた食の知恵や文化を伝える活動を始めました。

料理を作って終わり、ではありません。
「なぜ、この季節にこれを食べるの?」
「なぜ、この道具を使うの?」
「なぜ、この料理にはこんな意味があるの?」

そんな「なぜ?」を一緒に紐解いていくと、一皿の料理の向こう側に、日本の暮らしや文化が見えてきます。
外国の方から「どうして?」と聞かれることで、私自身も、それまで当たり前だと思っていた日本を何度も見つめ直してきました。

そして今では、海外の方だけでなく、日本で育つ子どもたちや、日本の食文化をもう一度見つめたい大人の方々にも、料理を入口に日本を知る場を作っています。


これからも、料理を入口に

昔の暮らしを、そのまま今に戻したいわけではありません。
便利になった今だからこそ、昔から受け継がれてきたものの中に、今の私たちにも役立つ知恵や、忘れたくない感覚があると思っています。

季節に耳を澄ませること。
旬のものを味わうこと。
手を動かして作ること。
食卓を囲むこと。
そして、当たり前の日常の中にある、小さな「なぜ?」に気づくこと。

これからもWa + Sabiを通して、私自身が学んできたこと、育った環境の中で自然と受け継いできたこと、そして今も新しく発見し続けていることを、料理とともに伝えていきたいと思っています。

日本の食の向こう側にあるものを、もう少し知ってみたい。
そんなふうに思ったら、ぜひ一緒に食卓を囲んでください。


さらにWa + Sabiを知る

+ Wa + Sabiが生まれるまで >>
私のバックボーンを形成した、両親の小渕沢での古民家暮らし

+ Wa + Sabiの哲学 >>
私が料理をし、日本を伝えていくうえで大切にしている考え方や価値観。

+ Wa + Sabiのレッスンを見る >>
ページ下部をご参照ください

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