私を静かに育ててくれた場所
The House My Parents Dreamed Of
ふとした時、この家のことを思い出します。
もう私たち家族の家ではありません。それでも、この家は今もなお、静かに今の私を形づくってくれた大切な場所のひとつです。
私の両親は人生のほとんどを東京のど真ん中で暮らしました。けれど、ずっと若い頃から、いつかは木々に囲まれた場所で、日本の古民家に暮らしたいという夢を抱いていました。四季の移ろいを日々の暮らしの中で感じながら生きること。それが二人の憧れでした。そして55歳のとき、その夢を叶えるために山梨県・小淵沢へ移り住みました。
新しい家を建てるのではなく、二人が選んだのは、長い年月を生きてきた古民家でした。母屋は新潟県から移築された築100年以上の農家。そして父のアトリエとなった土蔵は、福島県から運ばれてきた110年以上前の建物です。それぞれの建物はいったん丁寧に解体され、日本を横断して小淵沢まで運ばれ、森の中で再び組み上げられました。釘は一本も使わず、日本の伝統的な木組みだけで建てられた家。今では、こうした職人の技に出会える機会も少なくなりました。


A Life That Led Them There
けれど今になって振り返ると、この移住は決して突然の出来事ではなかったのだと思います。それまで両親が歩んできた人生の、ごく自然な延長線上にあったものでした。
父は、日本の原風景や古き良き暮らしを描き続けた画家でした。母は長年、日本の手仕事や工芸品を扱う店を営んでいました。二人にとって「日本」は、ただ好きなものではなく、人生を通して大切にしてきたテーマそのものだったのです。
だから森の中の古民家へ移り住むことも、新しい人生を始めるというより、長い年月をかけて歩んできた道が、自然とたどり着いた場所だったのでしょう。
Moving a Piece of Japan
今でも少し後悔していることがあります。古民家が再建されていく様子を、一度も見に行かなかったことです。当時の私は仕事が忙しく、「完成したら見に行けばいい」と軽く考えていました。
ところが後になって、その移築がどれほど大変なものだったのかを知りました。巨大な梁はあまりにも大きく、運搬用のトラックは好きな道を走れるわけではありませんでした。どの道を通り、どの角を曲がれるのかを何か月も前から綿密に計画しなければならなかったそうです。まるで新幹線を陸の上で運ぶようなもの。それほど大きな梁だったのです。
歴史を刻んできた建物を無事に新しい場所へ届けるために、あらゆることが計算され、準備されていました。運ばれていたのは、単なる古い家ではありません。日本の文化の一部が、新しい土地で再び命を吹き込まれようとしていたのです。



完成した家を初めて訪れた日のことは、今でもよく覚えています。
ただ立ち尽くしていました。
本当にこんな家があるんだ。
しかも、それが両親の家なんだ。
静かで、美しく、堂々とした佇まいに、ただただ圧倒されました。
The Memories We Made There
家の周りには木々が広がり、そこには自然の中でしか味わえない静けさがありました。私は何人もの友人をこの家へ連れてきました。本物の古民家に足を踏み入れるという体験を、ぜひ味わってほしかったからです。やがて子どもが生まれると、今度は私たち家族にとっても、大切な思い出の場所になりました。



夏は東京とは別世界のように涼しく、避暑地ならではの心地よさがありました。一方、冬の寒さは想像以上で、家の中まで冷え切り、なぜか夫は行くたびに風邪をひいていました。
子どもたちは、毎時間鳴る大きな柱時計の音を今でも覚えています。本気で「この家にはおばけがいる」と信じていました。
ある夜、まだ幼かった娘が寝ぼけたままトイレへ向かい、囲炉裏に落ちてしまったこともあります。灰まみれになって出てきた姿に、みんなで大笑いしました。今でも家族が集まるたびに話題になる思い出です。
父は私たちが遊びに行くたびに木と木の間へハンモックを吊ってくれました。子どもたちはそこへ乗り、自分たちで作った歌を歌いながら、「もっと押して!」と祖父にせがみます。父はいつも嬉しそうに押してくれました。
子どもたちの心に残っているのは、そんな何気ない時間なのだと思います。






The Culmination of a Life
両親は二十年以上、この家で暮らしました。しかし75歳を過ぎた頃、冬の雪が少しずつ大きな負担となり、この家を手放す決断をします。
今はもう別の方が暮らしています。それでも私は時々、あの家は今も変わらず森の中で静かに時を重ねているのだろうか、と想像します。そしていつか母を連れて、もう一度あの場所を訪ねてみたいと思っています。
今になって思うのです。
あの家は、両親が暮らした場所というだけではありませんでした。
何十年にもわたって積み重ねてきた人生の、ひとつの集大成だったのだと。
世界でも有数の大都市・東京で人生の大半を過ごしながら、最後に二人が選んだのは、百年の木と、日本の四季に囲まれた暮らしでした。だから小淵沢への移住は、始まりではなく、二人の人生がたどり着いた場所だったのだと思います。



It Wasn’t Nostalgia. It Was a Philosophy.
それは懐かしさから選んだ暮らしではありませんでした。
二人にとって、生きる哲学から生まれたごく自然な生き方だったのです。
日本の美しさを慈しみ、受け継がれてきた手仕事を大切にし、季節を受け入れ、その恵みとともに暮らすこと。
それが、両親にとって当たり前の日常でした。
子どもの頃の私は、それを特別だと思ったことは一度もありません。同じように、それが私にとっての「日常」でした。
でも今になって思います。
そうした価値観は、気づかないうちに、静かに私の中へ受け継がれていたのだと。
そして振り返ってみれば、その価値観は、私自身がこの道を歩み始めるよりもずっと前からそこにありました。だから私はこの道を選んだというより、両親から自然と受け継いできたのだと感じています。
両親が都会を離れ、山へ向かったときに持っていたものと同じ感覚を、私は今、自分なりの形で生きている。両親が木と土と紙でできた家を通して表現したものを、私は料理を通して受け継いでいるのかもしれません。



The Gifts My Parents Passed On
そして今、Wa + Sabiを通して私がお伝えしているのは、レシピだけではないということです。
それは、私が子どもの頃から自然と身につけてきた、静かな知恵。
季節に耳を澄ませること。
自然が与えてくれるものを料理すること。
食卓を囲むこと。
そして、何気ない日常の中に美しさを見つけること。
それは、私が自然と受け継いできた、日本の食の知恵です。
季節を慈しみ、手仕事を尊び、大切なものを次の世代へ受け継いでいくという、日本の文化が育んできた知恵でもあります。
それこそが、両親から私へ何より大きな贈りものなのだと思います。
そして今度は、私なりの形で、それを次へ手渡していきたい。
自分の子どもたちへ。
そして、日本の食や文化、四季のある暮らしに心惹かれるすべての方へ。
私たちが作る料理を通して、季節を祝うことを通して、そしてその背景にある、世代から世代へと受け継がれてきた静かな知恵を通して。
物語はつづく・・・
雑誌に特集された父と小渕沢での生活



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